11/9の記事に関して,個人としての考えを。(なのでカテゴリは[雑談]として)
宣言では3つの要望が挙げられています。
1.図書館予算の増大。
2.専門知識をもつ図書館司書の増員。
3.国家または公的機関による著作者等への補償制度の確立。
そこにいたるまでの文章で,私にはどうしても二段落目の文脈がつながるとは思いづらい所があります。
一方、長びく出版不況で、著作者および出版社の置かれた状況も厳しいものになりつつあります。図書館予算の削減は、本来図書館に置かれるべき良質の図書の販売を減少させ、結果としては、文芸文化そのものが危機にさらされているというべきでしょう。文芸文化を護るという観点から、ヨーロッパなどの先進諸国では、すでに図書館での無料貸出に対して、公貸権(Public Lending Right)が設定され、著作者に対して国家基金による補償金が支払われています。先進国を自負する日本においても、著作者等に対して何らかの補償金制度の実現が検討されるべき時期に来ていると思われます。
「出版不況に伴う厳しい現状」(仮にA.)と,
「図書館予算削減に伴う図書販売減」(同B.),
「文芸文化の危機」(同C.)。
この三点が並列的に取り扱われているのですが,なんとなく文脈がしっくりこないのですよ。
ある意味,AとCはつながるとは思いますし,BとCもつながるかも知れません。でもA-B-Cにはならないのではないかと…。
レトリックではありませんが,何となく意見の論拠がはっきりしていないように感じました。
11.13追記
ちょっと読み返してみて不十分なので追記を。
主張としてあげられている,1.図書館予算の増大,2.専門知識をもつ図書館司書の増員,3.国家または公的機関による著作者等への補償制度の確立。
この3点,つながりますか?つながらないですよね?
1.図書館予算が増大されれば,確かに図書館が購入する資料点数も資料数も増えるでしょう。また,2.専門知識をもつ司書が選書等にあたれば「その図書館にとって必要な資料」を適切に選択することができるかも知れません。
でも,1.2.が果たされたからと言って,「3.補償制度」が確立することにはつながりませんよね。逆に,図書館が適切な量と質の資料を選び収集し提供するならば,出版文化は危機にならないわけですよね,上の引用文からすれば。だったらここで補償制度をいうのは文脈としておかしいと思います。
(追記終わり)
個人として,公貸権が悪だとは思いませんし,導入自体をどうこう言うつもりはありません。
しかしながら,図書館にも図書館の理由があるわけでして,その点がこの宣言からは見えてこないかな,と。
個人的な考えですが,予算が削減される中,「公共施設」として「利用者の要求」を無視できるほど,図書館という組織は強くないと思います。つまり利用者が読みたい,図書館において欲しいと希望するものを,図書館の使命ならびに収集方針(コレクションポリシー)に沿う限り,必要な数だけ集めざるを得ない。
目に見える形での「サービス」が求められる組織となってしまっているのです。(その別の方向性がビジネス支援などの多様なサービス展開でしょう。)
本来,必要なことは,「図書館で集め提供するべき資料」というものに対する社会的コンセンサスを確立することであり,頭ごなしに「ある種の資料は図書館で集めるべきでない」とするものでもなく,さらに「仕方ないから補償して欲しい」と求めるものでもないと思います。
公貸権を本当に導入するには,図書館等に主張するのではなく,一般の人々に主張するべきことではないのでしょうか。なぜ今回の宣言は,文化庁や図書館関係団体にだけ提示(送付)されたのでしょうか。
自分も趣味の範囲で様々な創造をしています。
創造に基づく知的財産の生産が,どれほど大変であり,対価を求めるにふさわしいものであるかは十分分かっているつもりです。そして多くの人々が,その知的財産に対し敬意を払っていると思います。
その「敬意」が,十分に生産者に戻ってくるような流れを作ることは重要です。
何かを悪者にするのではなく,なぜ悪者とされるものが出現してしまうのか。その社会的要因やコンセンサスの確立を,論議してゆきたいものです。
2005.11.13追記
公貸権に関する知識も十分でないので,偉そうに文章を書くのは気が引けますが,自分自身の意見として。
「図書館」は何のためにあるのでしょう。私は
「今」だけではなく「将来にわたっての情報アクセスの補償」だと思っています。そしてランガナタンの言にあるように「全ての資料には,その読者がある」わけでして,その観点から言うならば,「全ての資料は図書館におくべきもの」となるはずです。
図書館側の人間としても,図書館を利用する立場からとしても,そして創造者達への敬意を払う意味でも,資料を生産し提供するというシステム全体へのコンセンサスが必要だと考えます。
私が今回の宣言を読んで,一番気になった点は
「図書館予算の削減は、本来図書館に置かれるべき良質の図書の販売を減少させ、結果としては、文芸文化そのものが危機にさらされているというべきでしょう」というところでした。
“図書館に置かれるべき良質の図書”なんて分け方(評価のされ方)は,本来ありません。「置かれるべき」かどうかは,図書館自体,そしてその図書館を現在から将来にわたって利用するであろうサービスコミュニティです。そもそも出版社も作家も「これは図書館に置かれるべき図書」「これは図書館に置かなくてもよい図書」などと分けて著作したり出版したりしていないはずです。
図書館が,本来図書館に置かれるべき図書を買わず,本来置くべきでない資料を購入し貸し出すから,という理由で出版文化が危機に陥ってるわけではないのです。図書館は情報提供システムの一つに過ぎません。
そこを,もう一度,図書館関係者も利用者も,全ての人が考えて欲しいものです。